12 11 10 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
 
過去のコラム:平成15年 平成16年 平成17年 平成18年 平成19年  平成20年 平成21年 平成22年 平成23年 平成24年 平成25年 平成26年 平成27年 平成28年 平成29年 平成30年
2018年
 「過去のコラム」は、PDFファイルです  
 
 このページの先頭に戻る
 最後に、ここでは先の『興風叢書〔19〕』に収録した藻原日海の『三種教相見聞』の中から、最初と最後にある二つの記事をご紹介してみたい。

   
  身延文庫蔵 上総藻原寺第四世日海撰『三種教相見聞』
  【図版は無断転載禁止です】
 一つめは、同書の第一冊の冒頭において、先ず三種教相判が天台智顗の『法華玄義』の内、略釈・広釈の二つの中で第一巻の略釈に説かれ、また略釈を構成する七番共解の第一・標章で名体宗用教の五重玄義を略釈する中、第五重の教相において示されていることを指摘した上で、
  「是の故に先師大聖人より始めて此の教相を別して抜き書きし、一巻の書となして三種教相と名づけ、今に至るまで是れを習い伝ふる処なり」
という記事がある。これによると、大聖人以来、この三種教相判は非常に大事な法門という認識の下に、特別に一巻の書物にあつらえられて、代々習い伝えてきたということで、おそらくこれは事実を反映した説明かと思われる。
 すると、やはりここで気になるのは、宗祖遺文として今に遺されている前回紹介した二つの『三種教相』や『三八教』との関係である。そこでこの日海の『三種教相見聞』の記述と御書の記述をざっと見比べてみると、『三種教相見聞』にある「許爾前得道」や「寂滅道場為元始」「不論種熟脱」「方便・譬喩乃至授記品意」「迹門」等の注記や、最初の「許爾前得道」の下に引かれる要文は御書の『三種教相』の方にもあるが、その後の「相待妙」や「絶待妙」の説明の仕方などは、両者の間にかなりの相違があるように思われる。
 それゆえ、この日海撰述の『三種教相見聞』は御書の『三種教相』等そのものに対する注釈とは言い難く、むしろ宗祖以来、「根性融不融相」「化道始終不始終相」「師弟遠近不遠近相」という三種教相判にごく簡単な注釈を加えた『三種教相』一巻なるテキストがあり、それについて同じように更に注釈を加えたのが御書の『三種教相』や『三八教』であり、またそれと同様にこの日海の『三種教相見聞』ではないか、と考えるのが至当ではないか、と思われるのである。

 そして、もう一つは、これは最後の第十冊目の末尾の近くにある記事であるが、そこには
  「尋ねて云く、娑婆世界の衆生は仏は釈尊に値い、菩薩は地涌千界に値ひて下種得脱すべしという事は何なる経釈に依るや。答えて云く、娑婆世界の衆生は仏は釈尊に値いて下種・得脱すべしと云う事は、上に教主有縁の沙汰せしがごとし。次に菩薩は地涌千界に値いて下種・得脱すべしと云う事は、涌出品にして過八恒沙の他方菩薩が是の経の此土弘経を申されしに、「不須汝等。護持此経」とこれを禁め、『所以者何。我娑婆世界。自有六万。恒河沙等。菩薩摩訶薩』等と下方の菩薩を召し給う故に、此の経文に付いて天台は前三後三の六の釈を設け玉ふ。妙楽が六の釈を受けて釈し給ふ中に、前三の第一の釈を受けて、『諸仏菩薩には実に彼此無けれども、但だ機に在無あり。無始法爾の故に。○初め此の仏菩薩に従って結縁し、還りて此の仏菩薩において成熟す』。此等の経文釈は分明に下種の初結縁・得脱の成就の仏は釈尊に限り、菩薩は千界塵数の菩薩に限りて下種・得脱すべしと云う事勿論なり」
とある。
 
  身延文庫蔵『三種教相見聞』第十。ちょうど中頃に「尋云、娑婆世界衆生仏
値釈尊値菩薩地涌千界」と見える。
  【図版は無断転載禁止です】
 ある意味でこれは本書全体の結論のようにも読み取れる記事なのであるが、「総じて娑婆世界衆生の種熟脱」について、『文句記』第九の涌出品釈である「初従此仏菩薩結縁。還於此仏菩薩成熟」の文に拠って、娑婆世界の衆生は無始法爾として仏は釈尊に限り、菩薩は地涌千界に限って、この仏菩薩に値遇して下種を受け、また再びこの仏菩薩に値遇して得脱すると説明されている。
 つまり、末法における下種が本化地涌の菩薩に限られることの文証としてこの「初従此仏菩薩…」の文を挙げている訳であるが、日海はこれ已前の第六冊目や第七冊目でも同様の記述をしており、この『文句記』の一文を非常に重要視している様が見受けられるのである。
 しかるに、そのような眼で改めて聖人の遺文を見わたしてみると、その書中にこの「初従此仏菩薩…」の文が引かれているのは、『最蓮房御返事』『曾谷殿御返事』『三種教相』『上行菩薩結要付属口伝』の写本で伝来する四書と、真蹟が現存する『一代五時継図(西山本)』と『注法華経』の合計六書に限られている。その中で注意すべきは『一代五時継図(西山本)』の存在であり、本書には三種教相判への直接的な言及は無いものの、化道の始終である「種熟脱」を用いて娑婆世界における釈尊の三徳が説明されている。そして、周知のとおり、日興上人には御書の写本が数多く残されているが、その中でもこの『一代五時継図(西山本)』が少なくとも五回にわたって書写されていることは、注意が必要ではないかと思われる。
 つまり、この涌出品釈の「初めこの仏菩薩に結縁し…」という一文は、衆生が釈尊に結縁すると同時に、その本化である地涌の菩薩に結縁し、最終的には同じ釈尊と地涌の菩薩に従って成仏を遂げるということを示しているので、これは滅後末法における地涌の菩薩、つまりその再誕の宗祖大聖人の衆生教化を明示し、保証する一文である。
 そして、その一文を含む「一代五時継図」の西山本を日興上人が五回も書写されているという事実は、宗祖を上行菩薩の再誕として仰ぎ、その御影像を本尊格としてご宝前に安置する日興門流の者としては、多少の注意を払うべき事柄ではないか、と思う。
 なお、この「三種教相見聞」の著者である日海師は千葉県茂原市の本山・藻原寺の第四世であるが、その生存時期は建武三年(1336)から康応元年(1389)である。しかるに、日蓮門下上代の教学的な流れに対する有力な見方の一つとして、宗祖の孫弟子たちが活躍した南北朝時代(~1392)が「安国論中心時代」であるのに対して、室町時代になると教学的な関心が「安国論」の権実論から「開目抄」「本尊抄」の本迹論に移り、天台本覚思想が流行する、という学説が提出されている。それゆえ、この南北朝末期から室町初期は非常に大きなターニングポイントであるが、その割りには残された史料も少なく、不明部分が多いのが実状である。
 そんな中、当該時期に活躍した日陣門流の派祖の円光坊日陣師(1339~1419)と日海師とは、それぞれ勝劣派と一致派の代表的な教学者ということもあり、その著作は非常に重要な意味合いを持っている。この度紹介した「三種教相見聞」十冊(『興風叢書〔19〕』所収)は、その日海師が「四信五品抄」を註解した「初心行者位見聞」十五巻と共にその代表作であり、きわめて興味深い内容を持つ文献と思われるので、是非ご一読いただければ幸甚である。

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 なお、最後にどうして宗祖がある意味では突然三種教相判に注目され始められたのか、という問題について私見を述べておきたい。
 先にも述べたように、写本で伝わる長短二篇の宗祖遺文『三種教相』は共に文永六年(1269)に系けられており、又真蹟が現存する『三八教』もやはり文永六年とされているが、これらはどうやら共に爾前の円と法華の円との同異勝劣を論じていることが文永六年の『十章抄』と共通する、というのが系年の根拠となっているようである。
 しかるに、その『十章抄』の内容において大きな特徴となっているのが「迹門→本門」への切り替えである。この転換について宗祖ご自身は何の説明もされていないが、これに関して私たちが注意すべきは、やはりこの前年の文永五年の閏正月にもたらされた蒙古の国書の存在であり、その一年後の三月に蒙古の使者が対馬に渡って返書を要求した事件である。これにより「立正安国論」における自らの予言の的中を強く確信された宗祖が、それを受けて真実の意味で自らの本門立ちの法華教学を展開され始めて行かれたのであり、その本門への指向の現れの一つがこの三種教相判への注目ではなかったか、という推測である。《終り》 (大黒)
 
 このページの先頭に戻る
 このページの先頭に戻る
 一昨年、拙稿「日蓮の名字即成仏論の探究」(『興風』28号)を書いたが、改めて重要な点について説明したい。
 第一章「日蓮の名字即成仏論とその文証」では先ず『秘書要文』を取り上げた。『秘書要文』は中山法華経寺に所蔵されている要文集で、日蓮と富木常忍と某者の三人が交代交代で書いている。詳細は平成25年刊の『日蓮仏教研究』第5号所収の拙稿「中山法華経寺蔵『秘書要文』の考察」を参看されたい。『興風』の拙稿で注目したのは『秘書要文』の開麁位顕妙位に関する六即図であり、名字即のところに日蓮のコメントと思しきものがある。これは富木常忍が書いているが、日蓮の教導によって書いたと見て間違いないから、以下日蓮のコメントとして話を進めたい。
 それを説明する前に『法華玄義』における円教の行位と、開麁位顕妙位の大要について述べよう。初めに『法華玄義』巻五上には円教の行位を明かして、
  還りて七種に約して以て階位を明かす。謂わく、十信・十住・十行・十廻向・十地・等覚・妙覚なり。今十信の前において更に五品の位を明かす云云。(大正33-733上)
といい、十信から妙覚の七位に五品を加えた八位を設定して、観行即五品弟子位から説明を始めている。これは『摩訶止観』『大本四教義』に説かれる六即でいえば、観行即五品弟子位、相似即十信位、分真即四十一位、究竟即妙覚位であり、名字即が見られない。その理由を『玄義釈籖』では、
名字は位に非ざればなり。乃至但だ信等の七位を論ずるは、是れ正位に非ざるが故なり。(大正33-899中)
といい、八位とする場合は名字即が正式な行位でないため、七位とする場合は観行即と名字即が正式な行位でないため含めなかったとする。六即と七位の違いについては江戸時代の慧澄癡空が『玄義釈籖講義』に、
  六即は迷解の体用に約して、総じて円位の旨趣を明かし、七位は断証の功用に約して、別して円位の階級を分つ。故に其の意は同じからず。 
と説明していて、八位説で名字即を除くのは「名字即は断伏の用が無い」ためで、さらに七位説で観行即を除くのは「五品は本と滅後通経の功徳にして正しく断証の位に非ざる」ためだという。名字即では煩悩を断伏せず、観行即では見思惑を伏すだけで、ともに未断惑であることが理由にされている。ともあれ『法華玄義』では名字即への視線は弱い。しかし六即を説いた天台智顗が名字即を無視するわけはなく、以下に述べるようにその視線が僅かに見られ、日蓮はそれを大切にしたのである。
 次に開麁位顕妙位の大要を説明すると、『法華玄義』巻五上に、
  諸の初心は是れ乳、妙を顕す。即ち是れ毒を乳中に置けば、即ち能く人を殺す。殺に奢促あり。若し按位にして妙なるは即ち仮名妙を成ず。若し進んで方便に入るは相似妙を成ず。若し進んで理に入るは即ち分真妙を成ず云云。(大正33-739上) 
とあり、毒発の譬えで被接を述べている。毒発とは四教の初心を乳に、法華実相を毒に、成仏を殺人に譬えていて、毒入りの乳を飲めば早晩死に至ることをいう。被接には按位接と勝進接があり、四教の初心者が法華の実相を聞いて未断惑初心位のままで成仏するのが按位接で、初心位から相似即・分真即と次第進入して化他の力用を備えるのが勝進接である。しかるに当位即是という円教の理論を立てる意味においては、初心の仮名位で成仏する按位接の方が勝進接より勝れているのであり、この「仮名妙」は観行即五品弟子位を指している。『法華玄義』巻五上には続けて、
  今更に譬説せば、譬えば小国の大臣、大国に来朝して本の位次を失うが如し。行伍に預かると雖も限外の空官なり。若し大国の小臣は心膂憑寄すれば、爵は乃ち未だ高からざれども他に敬貴せらる。諸教の諸位は麁を決して妙に入るに、入流するを得ると雖も、円教の入妙に比せんと欲するに、猶お是れ鈍の中より来たる。円教の発心は未だ位に入らずと雖も、能く如来秘密の蔵を知れば即ち作仏と喚ぶ。初心すら尚お然り。何に況んや後位をや云云。(大正33-739中)
とあり、前三教から円教に被接する者を小国の大臣、最初から円教を信ずる初心者を大国の小臣に譬えて、後者の「円教の発心」「初心」は如来秘密(法身・般若・解脱)の蔵を知る故に作仏すると述べている。この円教初心も観行即五品弟子位である。
 ここまでは『興風』の拙稿に述べた通りであり、これだけでは観行即成仏は言えても名字即成仏は導き出せない。しかしながら、拙稿では説明が煩雑になることを恐れて触れなかったが、『法華玄義』巻五下の類通三法を明かすところには「五品は名字の菩提」「五品は名字の乗」とあり、観行即五品が名字即に摂入されている。これは仮名位を観行即から名字即に引き下げる取っかかりになったのではないか。
 もしそう考えてよければ、『法華玄義』の仮名位は観行即を指しているけれども、観行即が名字即に摂入されるという記述が、『摩訶止観』巻四上の「五品の前の仮名位」という視点を呼び起こしたといえよう。これは『止観輔行伝弘決』が「是れ名字即なり。故に仮名と云う」というように、明らかに仮名位を名字即に下げている。これらは僅かなりとも天台智顗から引き出せる名字即成仏のための素材なのである。
 この傾向は妙楽湛然になると強くなる。前記の『法華玄義』巻五上の文について『玄義釈籖』では、
  若し円の大国の凡夫の小臣は名字仏と名づく。(中略)未だ品位に入らざれば、他を益すること能わざるを、爵は未だ高からずと名づく。(大正33-895上)
と、大国の小臣は名字即で成仏する凡夫であり、未だ品位(観行即五品弟子位)に入らない名字即であると重ねて強調していて、明らかに『法華玄義』の「仮名妙」「円教の発心」「初心」の位を観行即から名字即に下げている。これは天台智顗に見られる僅かな名字即成仏のための素材を紡ぎ合わせて、その成仏の道を開いたものといえよう。
 以上のことを理解して初めて、『秘書要文』11丁裏にある日蓮のコメントの重要性が説明できる。このコメントは開麁位顕妙位六即の名字即を解説するところに、『法華玄義』巻五上の取意の文と一緒にある。

 
                〈12丁表〉                     〈11丁裏〉
『秘書要文』。名字即のところにカギ括弧で括った解説がある。赤色の棒線部分が『法華玄義』巻五上の取意の文で、青色の棒線部分が日蓮のコメントである。
 
  【図版は無断転載禁止です】  
 先ず『法華玄義』巻五上の取意の文が、「又云、置毒乳中乳即殺人。乳ト者五停等ノ乳、法毒ト者法華実相。権教ノ乳、実相ノ毒ニ加持セラレテ遍シテ人ヲ殺ス。人殺ト者、人ヲ殺シテ仏トナス也」とあり、毒発の譬えで被接を述べている。前に説明した通り、被接には按位接と勝進接の二種があって、初心者が法華の実相を聞いて未断惑初心位のままで成仏するのが按位接で、初心位から相似即・分真即と次第進入して化他の力用を備えるのが勝進接である。しかるに当位即是という円教の理論を立てる意味においては、初心の仮名位で成仏する按位接の方が勝進接より勝れている。
 日蓮の「今ハ初住妙覚ニ叶トモ従本名字ト云」というコメントは、その仮名位を名字即とした天台智顗と妙楽湛然に基づくものであり、円教は分真即初住で成仏するのが基本だが、当位即是の法門によれば本より名字即で成仏できるのであると、感慨深く記した貴重なものである。〈菅原〉
 
 このページの先頭に戻る
 このページの先頭に戻る
 拙稿「日蓮の名字即成仏論の探究」では『唱法華題目抄』について考察した。
 名字即成仏を論ずる著作は何かと問われて思い浮かべるのは56才で著した『四信五品抄』であり、『唱法華題目抄』と答える人は多くない。39才で著した『唱法華題目抄』の修行観などには天台附順の説が見え、佐渡以降の著作と乖離するからだ。たとえば「常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱ふべし」「愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず」と唱題を奨励しながら、「其の志あらん人は必ず習学して之れを観ずべし」とできる人には一念三千の理観を勧め、また「法華経を信じ侍るはさせる解なけれども三悪道には堕つべからず候」と信を重視しながら、「六道を出づる事は一分のさとりなからん人は有り難く侍るか」と一分の悟りを求めている。そのため『富士一跡門徒存知事』では「文応年中に常途の天台宗の儀分を以て、且く爾前法華の相違を註し給えり」と注記しているほどだ。しかしそれはそうとして、天台附順の説とは別に、末法凡夫の名字即成仏を真摯に探究していることは決して見落とせない。いわば二頭立てなのであり、その一頭に当たる後者が『四信五品抄』と密接に関連するのである。『唱法華題目抄』(定遺188~189)の名字即成仏の骨子は四つあるが今回は二つを説明する。

①大通結縁者は名字即
 文証に引くのは次の三つである。
  法を聞いて未だ度せず、而して世々に相値ひて今に声聞地に住する者有り。即ち彼の時の結縁衆なり。(『法華文句』序品。大正34-26下)
  但だ未だ品に入らざれば倶に結縁と名づく。(『法華文句記』序品。大正34-190下)
  若しは信若しは謗、因りて倒れ因りて起く。喜根を謗ずと雖も後要ず度を得るが如し。(『法華玄義』巻六。大正33-755下)
 化城喩品には三千塵点劫の昔に大通智勝仏がいたと説かれている。大通智勝仏が法華経を説き終って禅定に入ったので、出家した十六王子の内、十五王子はそれぞれの国土に赴いて法華説法し、第十六王子のみが娑婆世界に留まって再び法華経を説いた。これを法華覆講といい、これに結縁することを大通結縁という。第十六王子が釈尊であり、この時に娑婆国土の衆生は釈尊と結縁した。上掲の『法華文句』では大通智勝仏の法華説法に結縁したものの、退大取小して三千塵点劫を流転し、今番の法華会座まで声聞の地位にある者を結縁衆としていて、『法華文句記』は結縁衆を未だ観行即五品に入らない名字即と明言している。『法華玄義』は法華覆講で結縁した者は信謗ともに成仏の因縁を結んだことを述べている。
 中国浄土宗の道綽は『安楽集』にて、釈尊と衆生は大通結縁以来の宿縁があるが、釈尊滅後、遥か遠く距たった末法の凡夫は下劣な機根になったため聖道門では成仏できないと断じた。すなわち「去大聖遥遠」「理深解微」の論難である。これを法然は『選択本願念仏集』の劈頭に引いて法華等の聖道門による成仏を否定した。加えて日蓮当時の念仏者は、天台智顗と妙楽湛然によれば大通結縁者は名字即及び観行即であり、名字即・観行即は一念三千を理解して十乗観法を修す行位だから、末法の下劣な凡夫が法華経に結縁しても六道を輪廻するばかりだと批判していた。これに対して日蓮は大通結縁者は信謗ともに名字即の浅位だから、本未有善の末法の我らはとにかく法華経に結縁すべきだと主張したのである。

②五十番目の人の随喜は名字即
 文証に引くのは『法華文句記』(随喜功徳品)の文である。
  初めに法会にして聞く、是れ初品なるべし。第五十人は必ず随喜の位の初めに在る人なり。(大正34-345下)
 随喜功徳品では五十展転の譬によって次のように説いている。ある人が法華経の説法を聞いて随喜し、その法を人に伝えた。それを聞いた人も随喜して次の人に伝え、最後の五十番目の人に至った。彼は人に伝える力はなかったが、法華経の僅か一偈を聞いて喜んだその功徳は多大である。『法華文句記』は最初に聞法随喜した人の行位を「初品」とし、五十番目の人の行位を「随喜の位の初め」としている。「随喜の位」とは観行即初品の随喜位だが、問題はその「初め」が随喜位の内の初めなのか、随喜位の前の名字即を指すのかにあり、天台宗でも意見が割れている。
 当時の念仏者は五十番目の人の随喜といえども随喜位の内にあるから、末法下劣の凡夫が行えるものではないと批判していた。しかし日蓮はそれを名字即とし、我らの僅かな聞法随喜の功徳も多大であると反論したのだ。これは天台宗で培われた名字即説を継承したものである。その主要なものを紹介しよう。
 先ず湛然(711~782)は『止観輔行伝弘決』巻十に、
  此の第五十の人の随喜の心は、亦た何ぞ必ずしも須く即ち是れ五品の初随喜の位なるべけんや。(大正46-446下) 
と記していて、五十番目の人の随喜は必ずしも初品の随喜位に当たらないという。これも『法華文句記』の文に照らせば、随喜位の初めにあることを述べていると受け取れるが、依然として随喜位の内か外かはっきりしない。しかし後世、随喜位に入らない名字即を述べたものという意見が提出されて議論が噴出する。実際そのようにも解釈できるのであり、拙稿に述べたように湛然は一念随喜を名字即としているから、五十番目の人の随喜を名字即としたとしても何ら不思議ではない。
 この文を中国天台宗の樝菴有厳(1020~1101)は『法華文句記箋難』(随喜功徳品)にて、
  若し輔行に拠らば、則ち随喜は又た非入品の随喜の人に通ずる。此の五十人の随喜の心は、亦た何ぞ必ずしも五品の初随喜の位なるや。(続蔵46-541上) 
と解釈した。要するに『止観輔行伝弘決』では五十番目の人の随喜を名字即としているというのである。この文を日蓮は『注法華経』の随喜功徳品(6巻95番)のところに大切に記入している。
    
  『注法華経』に見える『法華文句記箋難』の文。五十番目の人の功徳を説く随喜功徳品のところに記入してある 文中の「彼第十五云」の「五」は線を引いて抹消してあるが『定本注法華経』は見落としている。 
  【図版は無断転載禁止です】
 それを書き下し文で示そう。
  法華文句記箋難の巻第四に云わく〈赤城沙門有厳の箋〉、既に滅後五品の初めを校量す。初めとは謂く五品の中の随喜品の人なり。若し輔行に拠らば、則ち随喜は又た非入品の人に通ずるなり。彼の第十に云わく、法華は四百万億〈乃至〉に施し、四果を得せしめんより、初随喜の人に如かずという。此の五十人の随喜の心は、亦た何ぞ必ずしも須く五品の初随喜の位なるべけんや。
 拙稿では煩雑になるため説明しなかったが、これには現行の『法華文句記箋難』にない文章が含まれている。緑色のアンダーラインで示したのがそれで、山中喜八編著『定本注法華経』下巻435頁脚注ではこれを剰字として全体を『法華文句記箋難』の文章と考えている。しかし「彼の第十に云わく」以下は全て『止観輔行伝弘決』巻十の文章だろう。『止観輔行伝弘決』巻十には次のようにある。
  法華に云わく、四百万億阿僧祇世界の六趣・四生に施し、四事を以て供養し四果を得せしめんより、初随喜の人に如かざること百千万倍なり。是の故に説いて他をして聞くことを得せしめんと願う。随喜の心を生ずること、其の功は此くの若し。此の第五十の人の随喜の心は、亦た何ぞ必ずしも須く即ち是れ五品の初随喜の位なるべけんや。(大正46-446下)
 つまりは『法華文句記箋難』の文章の後に『止観輔行伝弘決』の文章を加えているのであるが、加えた理由は五十番目の人を名字即とする『法華文句記箋難』の意を闡明にするためだろう。しかし加えたのは日蓮ではなく、「法華文句記箋難の巻第四に云わく」から「初随喜の位なるべけんや」まで、全文が他の著作からの孫引きだろう。その作者も有厳の解釈に注目していたわけである。
 次に有厳の『法華文句記箋難』に影響を与えたと思われるものを挙げると、先ず湛然門下の行満は『六即義』に次のように記す。
  名字即とは或いは経巻により、或いは善知識によりて、此の名字を聞き、深く此の理を信じて三諦に随順す。法華は名づけて初随喜の人と為す。(続蔵100ー805上) 
 不現存であるが道暹にも『六即義』の著作があったようで、その逸文を日蓮は『注法華経』の化城喩品の裏面(3巻185番)に、
  道暹の六即義に云わく、名字の位を法華は名づけて初随喜とす。
と記している。
   
  『注法華経』化城喩品の裏面に記入
された道暹の『六即義』の逸文。
  【図版は無断転載禁止です】
 道暹は湛然門下ともいわれており、行満と道暹が揃って初随喜の人を名字即としたことは画期的である。そして道暹は『文句輔正記』(随喜功徳品)に、
  経に「幾所の福をか得ん」というは、但だ一念の随喜にして未だ修行観恵あらず。故に福に属するなり。(続蔵45-326上)
と記している。この「一念の随喜」は五十番目の人の随喜を意味していて、「未だ修行観恵あらず」とは未だ十乗観法を修していないという意味であり、通常十乗観法は観行即で修すから五十番目の人を名字即と解釈していることになる。これを等式で示すと、五十番目の人=一念随喜=十乗観法を未修=名字即となる。
 さらに日本の恵心源信(942~1017)は未再治本『六即義私記』(青蓮院門跡架蔵)に行満の『六即義』の文を釈して、
  行満の意は第五十の随喜の人を指して名字即と名づくのみ。五品の中の初品に非ざるのみ。 
と記した。行満がいう「名字即とは(中略)初随喜の人」とは、初品随喜位の人ではなく五十番目の人を指していると的確に指摘したのである。そして、
  随喜の語は通じて初品の随喜の十心具足を謂う。但し一念の随喜あり。名字と名づけて何の失あるや。 
とも記して、五十展転の随喜は通じて十乗観法を修す観行即初品の随喜位に当たるが、僅か一念の随喜の人もいてそれが名字即に該当するという。これも五十番目の人の一念随喜を名字即としたものである。 源信は弟子を四明知礼とその高弟のもとに遣わして宗義を問うなど交流があったから、知礼の孫弟子に当たる有厳が源信の意見を知っていたことは十分考えられ、行満・道暹のみならず源信の影響も受けているとも推測できよう。
 ともあれ、このような湛然・行満・道暹・源信・有厳などによる真摯な教学的営みによって、五十番目の人の随喜を名字即とする解釈が一定の説得力をもつようになっていた。これに精通していたからこそ、日蓮は末法の名字即成仏の例証に五十番目の人の聞法随喜を挙げたのである。〈菅原〉
 
 このページの先頭に戻る
 このページの先頭に戻る
 『唱法華題目抄』における名字即成仏の骨子の残り二つを説明する。

③五種法師は名字即
 文証に引くのは『法華文句記』(法師功徳品)の文である。
  或いは全く未だ品に入らず。(大正34-346上)
一向に未だ凡位に入らず。(同) 
 これは五種法師を観行即五品弟子位、並びに観行即外凡位に入らない名字即とした明文であり、理由には「五師は観行を修すと云わず」(同)として、十乗観法を修していないことを挙げている。十乗観法の修未修で観行即と名字即を分ける基準は極めて重要である。道暹はこれを継承して『文句輔正記』(法師功徳品)に、
  「一向に未だ凡位に入らず」とは、未だ観行を修せざるを以て、且く判じて五品の初めに在り。未だ五品の位に入らざる故に。(続蔵45-327下)
と、十乗観法を修していない故に観行即五品弟子位に入らないとした。日蓮はこれらの文を『注法華経』随喜功徳品(6巻96・97・98番)のところに記入している。
 
  『注法華経』随喜功徳品に見える『法華文句記』と『文句輔正記』の文。  
  【図版は無断転載禁止です】  
 しかし源信の未再治本『六即義私記』を見ると、
  五種法師は必ず初随喜に十法成乗を用う。十法成乗の中の観不思議境等は是れ正解の体なる故に、縁を以て之れを言いて五種法師と名づけ、因を以て之れを言いて一正解と名づくのみ。 
とあり、五種法師は観行即初品位にあって十乗観法を修すという。理由には五種法師の「解説」が十乗観法の観不思議境等の正解にあることを挙げている。源信は後述する一念随喜や、前回述べた五十番目の人の随喜を名字即としたが、五種法師は名字即とはしなかったのである。そして宝地房証真(1131~1220頃)も『法華疏私記』(法師品)に、
  入品を以て正義と為すなり。若し観行を修すと云わずと云わば、五品六根は経文亦た修観と云わざるなり。(仏全22-102上) 
と記して、観行即五品弟子位に入るのが正義だという。湛然と道暹が名字即の理由とした十乗観法を修さないことについても、法華経には五品位(観行即)や六根清浄位(相似即)で十乗観法を修すとは説かれていないから理由にならないと否定している。さらに『法華疏私記』(法師功徳品)には、
  経に明文無し。故に縦容に判ず。然るに未入は応に正義に非ざるべし。(仏全22-195下)
とあり、湛然は法華経に明文がないので縦容に「未入品」「未入凡位」としたに過ぎないとして、その名字即説を非正義と断じた。
 日蓮はこのような異説があることを熟知していた。ネックになっているのは「解説」の取り扱いである。そこで着目したのが『法華文句』(法師品)の次の文である。
  此の品に五種の法師あり。(中略)別して論ずれば四人は是れ自行、一人は是れ化他なり。大経に九品を分つ。前の四人の無きは是れ弟子の位、後の五人の解有るは是れ師の位なり。(大正34-107下、180上) 
 これによって日蓮は次のように論じた。
  其の上、五種法師にも受持・読・誦・書写の四人は自行の人、大経の九人の先の四人は解無き者なり。解説は化他、後の五人は解有る人と証し給へり。疏記第十に五種法師を釈するには「或いは全く未だ品に入らず」と。又た云わく「一向に未だ凡位に入らず」と。文の心は五種法師は観行五品と釈すれども、又た五品已前の名字即の位とも釈するなり。(定遺189)
 意訳すれば以下のようになろう。五種法師の受持・読・誦・書写は自行で、解説は化他であるが、涅槃経に説かれている四依九人の五種法師の内、初依の四人には深義解説の化他がない。深義解説の化他が備わらないのは自行の法師である。まして、初依の第一人は「経典を受持して誹謗を生ぜず」、第二人は「是の法を謗ぜず、是の典を愛楽す」という浅行であるから『法華文句記』は「或いは全く未だ品に入らず」「一向に未だ凡位に入らず」と釈したのである。五種法師は観行即に属すという解釈もあるが、湛然は名字即と解釈したのである。
 湛然や道暹の名字即説を受け継いだのはまさに日蓮であるといえよう。

④一念随喜は名字即
 以上の三つ(大通結縁・五十番目の人の随喜・五種法師)の行位が名字即であることを説明し終えた日蓮は次のように結論した。
  此等の釈の如くんば義理を知らざる名字即の凡夫が随喜等の功徳も、経文の一偈一句一念随喜の者、五十展転等の内に入るかと覚え候。(定遺189)
 法華経を深く理解できない末法の名字即凡夫の随喜であっても、一念随喜(法師品)や五十番目の人の随喜(随喜功徳品)と同じように多大な功徳が得られるというのである。一念随喜の行位が名字即であることの文証を挙げていないが、五十番目の人の随喜が一念随喜に相当すると考えて省略したのだろう。ただし湛然は一念随喜を名字即としていて、その『法華文句記』(法師品)の「未だ品に入らずと雖も」の文が『注法華経』法師品の裏面(4巻199番)に見えるから、日蓮は重々承知していたと考えてよい。
 
  『注法華経』法師品の裏面に見える『法華文句記』の文。 
  【図版は無断転載禁止です】
 そもそも一念随喜は法師品に次のように説かれている。
  仏前に於いて妙法華経の一偈一句を聞いて、乃至一念も随喜せん者には、我れ皆な記を与え授く。当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。(中略)如来の滅度の後に、若し人有りて、妙法華経の乃至一偈一句を聞いて一念も随喜せん者には、我れ亦た阿耨多羅三藐三菩提の記を与え授く。(大正9-30下) 
 これを智顗は『法華文句』に次のように注釈した。
  「一句一偈」とは聞法極めて少なきなり。「乃至一念」とは時節最も促(つづま)るなり。「皆な記を与え当に菩提を得べし」とは其の聞くこと極めて少なく、時極めて促るに、随喜の功は遂に仏果を得ることを明かす。(中略)「一句一偈を聞いて」とは、聞少なく解浅きの類に今皆な記を与う。(大正34-108下、109上) 
 すなわち一念随喜とは、法華経の一偈一句の僅かな教えを聞いて、一瞬という短い間でも有り難いと喜ぶ心を起こすことであり、しかも極めて理解が浅かろうとも、必ず成仏の功徳が得られると述べている。智顗は続けて、
  一念随喜とは自ら未だ行有らず。但だ法及び人を随喜す。功報尚お多し。況んや行の到るをや。即ち一念の心中に於いて、深く非権非実の理を解し、仏知見を信ず。(中略)煩悩の性を具すと雖も、能く如来秘密の蔵を知る。(大正34-109上)

と、一念随喜の人も如来秘密の蔵を知ることができるとした。ただしこの行位は観行即五品弟子位であった。ところが湛然は『法華文句記』に、
  「仏知見を信ず」とは、初心の中に於いて深く妙理を信ず。(中略)是れ即ち初随喜位の相なり。(中略)「煩悩を具す」の下は、未だ品に入らずと雖も亦た通じて証すべし。煩悩の性を具して能く知るが故なり。(大正34-305中下)
と釈して、一念随喜の人は初随喜位であり、観行即五品弟子位に入らない名字即で如来秘密の蔵を知ることができるとした。一念随喜と初随喜の行位は名字即に下げられたのであり、この指摘は、一念随喜=初随喜=名字即=知如来秘密蔵という等式で示せると思う。前々回に述べたように、湛然は『玄義釈籖』でも如来秘密蔵を知る位を名字即としている。
 これを受け継いだのが宝地房証真で『法華疏私記』に、
  文に「一念随喜とは自ら未だ行有らず等」とは、是れ博地の故に挙げて流通を以てす。記に云わく、「未だ品に入らずと雖も」と。而れば籖の二に云わく、「観行位の初めは五品位に近づく故に初めと云うなり」と。故に記に云わく、「初随喜位の相なり」と。一念随喜と言うは、一念少時の一念心に於いて妙理に達するなり。若し品に入らば何ぞ只だ一念のみならん。(仏全22-101上) 
と、『法華文句記』の「未だ品に入らずと雖も」と「初随喜位の相なり」の文等を引いて、一念随喜は観行即に入らないとした。なお、湛然が初随喜位を名字即としたことに関していえば、前回述べたように、行満も『六即義』に「名字即とは(中略)法華は名づけて初随喜の人と為す」と記し、道暹も『六即義』に「名字の位を法華は名づけて初随喜とす」としている。
 ところで『法華玄義』巻五上の円教位を明かすところに説かれているように、観行即初品位では十乗観法を一通り修す。これに関して刮目すべきなのは『法華文句』(分別功徳品)に、
  或いは云わく、初めの随喜品は是れ信心の位に入る。一品を分ちて両心と為す。五品は十信心にして、即ち是れ鉄輪六根清浄の位なり。(大正34ー138中) 
とある「一品を分ちて両心と為す」の文について源信が未再治本『六即義私記』に、
  「一品を分ちて両心と為す」とは初品を指す。謂ゆる未入信心と已入信心の両心と為す。第二品等は皆な是れ相似なる故に、分けて両心と為すと云わざるなり。故に是れ一々の品を分けて各両心と為すに非ざるのみ。 
と、独自の解釈を施したことである。『法華文句』の文は判摂五品について述べていて、通常は観行即五品位をそれぞれ両心に分けて十として、相似即十信心位に配すことをいうと理解されるが、源信はそうではなく、両心に分けるのは初品位だけで、「未入信心と已入信心」に分けるという。「已入信心」とは十乗観法を修して相似即に超入する利根の人のことで、「未入信心」には十乗観法を修して五品位を次第に登っていく鈍根の人もいるだろうが、源信は十乗観法を修さない故に名字即に摂属される人を想定しているのだろう。これを等式で示すと、未入信心=十乗観法未修=名字即となる。
 この解釈は異例である。しかしこれを用いれば、本来観行即初品位に属する一念随喜を、十乗観法の修未修を基準にして、初品位の一念随喜と名字即の一念随喜に分けることが可能となり、智顗釈と湛然釈の違いが説明できるのである。源信の意図はこの点にあるように思う。源信は『止観口伝略頌』にも、
  十乗未だ具せざるは猶お名字に属す。是れ名字なりと雖も随喜の初心なり。(恵全2-459) 
と記していて、十乗観法を修さない人を名字即とし、「随喜の初心」と呼んでいる。この源信の説はかなり流布していたから日蓮も知っていただろう。『唱法華題目抄』で一念随喜の行位を名字即としたのは、このような天台教学の展開を熟知していた故である。まして『十章抄』に、
  真実に円の行に順じて常に口ずさみにすべき事は南無妙法蓮華経なり。心に存ずべき事は一念三千の観法なり。これは智者の行解なり。(定遺490)
と、一念三千を観ずる十乗観法は智者の行解であり、末法凡夫の修行ではないという日蓮が、一念随喜の浅行を重視して、湛然・源信・証真の名字即説を継承したことは十分納得がいくのである。
 ただし、あくまで天台宗の名字即成仏は六即修行の基本を踏まえたものであるのに対して、日蓮のそれは名字即以上の行位に登る必要がない、末法適時の名字即下種成仏論である。それが佐渡以降の教学において徹底されることは言を俟たない。〈菅原〉
 
 このページの先頭に戻る
 
 このページの先頭に戻る
 日蓮は『四信五品抄』に、智顗と湛然は四信の初めの一念信解と五品の初めの随喜品の行位について、相似即十信位、観行即初品位、名字即の三つに解釈するが、自分としては名字即が法華経に適うと思うと記した。無論、観行即初品位が天台教学の基本であることを日蓮は承知している。その天台釈をいくつか挙げよう。先ず『摩訶止観』巻七下の円教の次位を明かすところでは、観行即初品位を次のように説明する。
若し能く勤めて五悔の方便を行ぜば観門を助開す。一心三観、豁爾として開明なり。浄き鏡に臨んで遍く諸色を了するが如し。一念の中に於いて円解成就す。功力を加えず、任運に分明なり。正信堅固にして能く移動すること無し。此れを深信随喜の心と名づく。即ち初品弟子位なり。分別功徳品に云わく、「其れ衆生有りて仏の寿命の長遠なるを聞いて、乃至能く一念の信解を生ぜば、所得の功徳は限量すべからず。」「能く如来の無上の慧を起こさん。」「若し是の経を聞いて、而も毀呰せずして随喜の心を起こさん。当に知るべし。已に深信解の相と為す」と。即ち初品の文なり。(大正46ー98下)
 法華経分別功徳品の経文を三つ引く内、初めが一念信解、最後が随喜品の経文である。二番目は第二信の略解言趣に関する経文だが、一念信解に引き寄せて引文したのだろう。そのように見れば、智顗は基本的に一念信解と随喜品を観行即初品位に定めたと考えてよい。これを『止観輔行伝弘決』は次のように釈する。
初品に文を引けるは、疏の分文に拠らば、乃ち是れ現在の四信の文なり。四信と言うは、一には一念随喜、二には解其言趣、三には広為他説、四には深信観成なり。仏滅後の五品の初めと両処の随喜は文義大いに同じ。故に今互いに引いて、以て初品を証す。(大正46-384下)
 一念信解を一念随喜に言い換えているが、この一念随喜は随喜品の随喜を表しているから、一念信解と随喜品を義同と見ている。「仏滅後の五品の初めと両処の随喜は文義大いに同じ」とはそのことを述べている。湛然は『法華文句記』(随喜功徳品)でも、
随喜品の文は既に滅後の五品の初めを校量するを以て、義は現在の四信の首めに当たる。(大正34-344上) 
と、随喜品と一念信解を義同としていて、日蓮はこれらの文を『注法華経』化城喩品の裏面(3巻186・187・189番)に記入しているのである。では名字即とする理由は如何なるものか、以下に見ていきたい。
               
  『注法華経』化城喩品の裏面に見える『摩訶止観』(左)と『止観輔行伝弘決』(中)と『法華文句記』(右)の文。
  【図版は無断転載禁止です】 

ⓐ一念信解と随喜品は名字即
 一念信解について法華経分別功徳品の散文にはこう説かれている。
仏の寿命の長遠是くの如くなるを聞いて、乃至能く一念の信解を生ぜば、所得の功徳は限量あること無けん。(大正9-44下) 
 これが偈頌では、
我が寿命を説くを聞いて、乃至一念も信ぜば、其の福は彼に過ぎたらん。(中略)我が寿命を説くを聞いて、是れ則ち能く信受せん。(同45上)
と、一念信の功徳は布施・持戒・忍辱・精進・禅定の五波羅蜜を行ずる功徳より勝れると説かれていて、信解の解より信を重視しているように思える。そのため『法華文句』(分別功徳品)でも、
四信とは一に一念信解、未だ演説すること能わず。(中略)一切法は皆な是れ仏法なることを信ず。(大正34ー137中) 
と、信を重じていて、『法華文句記』では明らかに、
唯だ初信を除く。初めは解無きが故なり。(中略)一切の法は皆な是れ仏法なることを信じ、又た如来の化功は長遠なることを信ず。(大正34-342下) 
と、一念信解の行相には解がなく一念信のみあるとしている。これによって日蓮は『四信五品抄』に、
又一念信解の四字の中の信の一字は四信の初めに居し、解の一字は後に奪はるる故なり。若し爾らば無解有信は四信の初位に当たる。経に第二信を説いて云く「略解言趣」云云。記の九に云く「唯だ初信を除く。解無きが故に」と。(定遺1295) 
と記して、一念信解を無解有信の名字即と断じたのである。なお参考までに記せば、植木雅俊氏は一念信解のサンスクリットの原語を「一度でさえも〔覚りを求める〕心を発す信順の志」と訳している(『梵漢和対照・現代語訳 法華経』下巻263頁)。
 次に随喜品について法華経分別功徳品の散文にはこう説かれている。
如来の滅後に、若し是の経を聞いて而も毀呰せずして随喜の心を起こさん。(大正9-45中) 
 日蓮はこの行位を『四信五品抄』に、
若し此の文、相似と五品とに渡らば「而も毀呰せずして」の言は便ならざるか。(定遺同上)
と記した。毀呰せずという程度の浅行は名字即であり、もし観行即・相似即に渡るならば「毀呰せず」ではなく、よく解説すると説かれて然るべきだと判断したのである。このことは『唱法華題目抄』で触れていないので少なからず注目できるが、思えば日蓮は信仰を異にする人々から常に毀呰された。そのため『守護国家論』では、
法華経の法師品に持経者を罵る罪を説いて云く「若し悪人有りて不善の心を以て、一劫の中に於いて、現に仏前に於いて常に仏を毀罵せん。其の罪尚お軽し。若し人一つの悪言を以て、在家出家の法華経を読誦する者を毀呰せん。其の罪甚だ重し」(定遺105) 
という法師品の経文を引いて非難し、『立正安国論』でも、
「彼の正法に於いて永く護惜建立の心無く、毀呰軽賤して言に禍咎多からん。是くの如き等の人を、亦た一闡提の道に趣向すと名づく」(定遺220)
という涅槃経の経文を引いて処分を訴えた。しかし為政者からも刀杖・毀辱の難を被った日蓮は、それを「二十行の偈」の色読としてひたすら忍受した。そのような状況において、法華経や十乗観法を深く解行できずとも、毀呰せず随喜の心を起こす在家信徒が確かにいたのであり、日蓮は彼らの成仏を心から念願したはずである。法華教理史上、日蓮の名字即成仏論は時代の要請として生まれるべくして生まれたといってよかろう。

ⓑ五十番目の人の随喜は名字即
 随喜品の功徳は法華経随喜功徳品にて格量され、五十展転の譬が用いられた。前々回に述べたように、湛然は『止観輔行伝弘決』において五十番目の人を観行即初品位ではないとし、行満や道暹は『六即義』において法華経は初随喜の人を名字即とするとし、道暹は『文句輔正記』において五十番目の人の随喜を一念随喜と規定して、十乗観法を修していないことを理由に名字即とした。源信は未再治本『六即義私記』において、行満がいう初随喜の人とは五十番目の人のことであるとし、有厳も『法華文句記箋難』において五十番目の人を名字即とした。これを等式で結ぶと、五十番目の人=一念随喜=初随喜=十乗観法未修=名字即となる。このように、本来観行即初品位であった随喜品の随喜に両意が生じていることは注意すべきである。その立て分けについて未再治本『六即義私記』では、上記の道暹説を継承して次のように説明している。
随喜の語は通じて初品の随喜の十心具足を謂う。但し一念の随喜あり。名字と名づけて何の失あるや。
 「十心具足」とは観行即初品位にあって十乗観法を修し、その功徳を具足しているという意味であり、五十人の内、四十九人は初品位にあってその功徳を具足しているが、最後五十番目の人は僅か一念の随喜であり、十乗観法を修していない故に名字即だというのである。十乗観法の修未修で観行即初品位と名字即を分ける先例は、前回述べたように湛然にまで遡ることができ、重要な基準であった。この天台教学の展開を熟知する日蓮は『四信五品抄』に、五十番目の人の行位を次のように記した。
第五十人に至りて二釈有り。一には謂わく、第五十人は初随喜の内なり。二には謂わく、第五十人は初随喜の外なりと云うは名字即なり。「教弥よ実なれば位弥よ下し」と云ふ釈は此の意なり。四味三教よりも円教は機を摂し、爾前の円教よりも法華経は機を摂し、迹門よりも本門は機を尽くすなり。「教弥実位弥下」の六字心を留めて案ずべし。(定遺1295) 
 天台宗では観行即初品位(初随喜位)の内か外か意見が割れているが、自分は名字即説を取るというのであり、『唱法華題目抄』でも同じように、
五十展転の人は五品の初めの初随喜の位と申す釈もあり。又初随喜の位の先の名字即と申す釈もあり。疏記第十に云く「初めに法会にして聞く、是れ初品なるべし。第五十人は必ず随喜の位の初めに在る人なり」と。文の心は初会聞法の人は必ず初随喜の位の内、第五十人は初随喜の位の先の名字即と申す釈なり。(定遺189) 
と記していた。五十番目の人を名字即とする諸師は上記したが、観行即初品位とするのは源信の弟子覚超で、再治本『六即義私記』(青蓮院門跡架蔵)に、源信の名字即説を「一往爾なりと雖も未だ一定せず」としながら結論としては、
或いは初品の初心を「初品の初め」と言うと云うべきか。
とした。すなわち『法華文句』(随喜功徳品)に「第五十人は是れ初品の初めなり」とあることをもって、観行即初品位の初心であって名字即ではないというのである。同意見の人師は多数いたと思われ、証真(1131~1220頃)の『法華疏私記』(随喜功徳品)や海岸坊性舜(ー1183~1206ー)撰かとされる『法華十軸鈔』に両説があったことが記してある。ただし『法華疏私記』がどちらか一方に肩入れしていないのに対して、『法華十軸鈔』は観行即説に肩入れしているようである。その具文は拙稿「日蓮の名字即成仏論の探究」(『興風』28号398・399頁)に記したので見てほしい。

ⓒ寿量品所説の失心・不失心は名字即
 『四信五品抄』には次のようにある。
 寿量品の失心・不失心等は皆な名字即なり。涅槃経に「若しは信、若しは不信、乃至熙連」とあり。之れを考へよ。(定遺1295)
 「熙連」とは涅槃経が四依九人の内の初依第一人について、
若し衆生有りて、熙連河沙等の諸仏の所に於いて、菩提心を発さば、乃ち能く是の悪世に於いて、是くの如き経典を受持して誹謗を生ぜず。(大正12-398下) 
と説いたことを指す。すなわち悪世において涅槃経を信じ、また積極的に信じなくても誹謗しないのは、過去に多くの諸仏に遇って菩提心を発した名字即の人々であり、同様に寿量品の失心・不失心者も久遠下種に結縁した名字即の人々であるというのだろう。

 最後にこれまでに説明した『四信五品抄』と『唱法華題目抄』の共通性を見てみよう。先ず「解無し」「毀呰せず」をキーワードにして見ると、『四信五品抄』のⓐでは一念信解の「無解有信」と随喜品の「毀呰せず」の行相を名字即としていて、『唱法華題目抄』の③では涅槃経の初依四人の五種法師を「解無き」故に名字即としている。補足すれば、同時期に著した『守護国家論』では法華経法師品の一念随喜の経文と、涅槃経の初依第一人の「経典を受持して誹謗を生ぜず」、初依第二人の「是の法を謗ぜず、是の典を愛楽す」の経文を引いて、「此等の文の如くんば、設ひ先に解心無くとも此の法華経を聞いて謗ぜざるは大善の所生なり」(定遺128)と記していて、初期の頃からこの浅行を重視していたことがわかる。次に「下種結縁」をキーワードにして見ると、『唱法華題目抄』の①では大通下種結縁を名字即とし、『四信五品抄』のⓒでは久遠下種結縁を名字即としている。そして『唱法華題目抄』の②と『四信五品抄』のⓑでは五十番目の人の随喜を名字即とする点で共通している。重要なのは繰り返し説明した如く、これらに関する天台教学において、十乗観法を修さない故に名字即とする解釈が展開していることであり、これが日蓮の名字即成仏論の根底に存することは疑いなかろう。
 総括すると、末法の凡夫は法華経を深く理解できずとも、十乗観法を修せずとも、聞法して謗ぜず、一念に信じ、一念に随喜する名字即の行位で成仏が叶う、というのが拙稿で述べた日蓮の名字即成仏論の要点である。
 これが『四信五品抄』の「檀戒等の五度を制止して一向に南無妙法蓮華経と称せしむるを、一念信解初随喜の気分と為す。是れ則ち此の経の本意なり」(定遺1296)という唱題行や、『崇峻天皇御書』の「一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振舞ひにて候ひけるぞ」(定遺1397)という不軽菩薩の行に結び付くことは最早論を俟たない。〈菅原〉
 
 このページの先頭に戻る