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2022年
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 昨年末、例年どおり『興風』・『興風叢書』を刊行することができた。ささやかな宗祖生誕800年の報恩行でもあった。私も小論「日蓮遺文中の擡頭と平出―日蓮の国王観補遺―」を『興風』に投稿し、これまでの拙稿における不足をいくつか補ったつもりだが、「おわりに」でも述べたとおり、補訂はなお不充分で、日蓮遺文の書式(闕字[けつじ]・平出[へいしゅつ]・擡頭[たいとう])、とくに写本類についての精査はこれからである。
 今回は日蓮書状の、代筆から平出の用例を取りあげて追加報告を行うが、最初にあらためて闕字・擡頭・平出についてふれておこう。端的にいえば、闕字・平出・擡頭とは、文中に国王(天皇)やそれに関連する語句など、敬意対象となる用語があらわれた場合、闕字は1字ないし数字をあけて当該文字を記し、平出は改行して当該文字を行頭に、そして擡頭は、当該文字を他の行よりも1文字ないし2文字ほど高く記す。すなわち敬意度は闕字→平出→擡頭と高まってゆく、というものである。
 前掲小論では、日蓮遺文中にみえる平出や擡頭を摘記して、その独特な用法について略述した。また先述どおり、闕字・平出・擡頭は、国王(天皇)とそれに関わる用語に適用するものだから、日蓮がその対象とした人物と、日蓮の国王観とがリンクすることはいうまでもない。そしてこれまで述べてきた、文章表記、内容、用語に加え、書式の上からも、日蓮は北条氏得宗(北条家当主)をもって日本国王とみとめ、『立正安国論』を献上したことを、あらためて確認した。
 ところで日蓮は、一般的な擡頭・平出の用例と異なり、人物(国王など)だけではなく、「妙法蓮華経(法華経)」という経典を敬意表記の対象としているところに、大きな特徴がある。前掲小論では、特に日蓮起草の「陳状草案」(通称「瀧泉寺申状」)における用例を挙げたが、たとえば題目(南無妙法蓮華経)を記す場合「南無」で改行し「妙法蓮華経」を行頭に記すといった具合で、日蓮の法華経観を視覚的にもみることができる。

 
  図版1 日興写本「聖人等御返事」

 またこれは日蓮の自筆ではなく、日興写本「聖人等御返事(変毒為薬御書)」【図版1】によって確認されることだが、日蓮は弘安2年(1279)、熱原の百姓3名が斬首されるにあたり、3名が最期に唱えた題目「南無妙法蓮華経」について、「南無」で改行せずに「奉唱」で改行し「南無妙法蓮華経」を平出している(本文3行目)。ここでは唱題そのものを敬意表記の対象としているわけだが、それは日蓮が、熱原百姓三名が最期に唱えた題目に、崇高なるものを感じたからに他なるまい。なお、この平出は日興写本に見られるもので日蓮自筆によるものではない、との批判もあろうが、この平出は日興がわたくしに用いたものではなく、日蓮自筆の書式にのっとたものであろうことは、前掲小論に述べている。参看を請う。
 とまれ日蓮は、これに先立ち、富士方面の檀越に対して、「末法に入なば迦葉・阿難等、文殊・弥勒菩薩等、薬王・観音等のゆづられしところの小乗経・大乗経並に法花経は文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず」とか「今、末法に入ぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」等と、日蓮の教説をきわめた、唱題の大事を書き示している。そして熱原の百姓3名は、見事にその大事を体現したわけで、日蓮が彼らの唱えた最期の題目「南無妙法蓮華経」を平出したのは、ゆえあることである。また日興写本を忠実に転写したと思われる「御筆集」にも、「法華経の題目となへまいらせ」の一節を平出(あるいは擡頭のようにもみえる)した例がみられる。
 その他、日朗代筆による日蓮書状「伯耆公御房御返事」【図版2】にも、平出が見られるので掲げておこう。

  図版2 日朗代筆「謹上伯耆公御房書」

 上掲のとおり本状においても「法華経」(本文4行目)と「聖人(日蓮)」(本文6行目)を平出している(あるいは「日蓮」〔本文13行目〕も平出か)。日蓮がみずから「法華経」とあわせて「法主聖人・聖人」を平出していることは、弘安2年の陳状草案にもみられることで、「伯耆公御房御返事」における「法華経」「聖人」の平出は、日蓮の指示か、あるいは日朗による使用かどうか、にわかに判断することはできないけれども、日蓮のみならず弟子・檀越の間でも、法華経や聖人(日蓮)を平出することは、ある程度ひろまっていたことを示している。
 とまれ日蓮遺文における敬意表記は、これまで『日蓮大聖人御真蹟対照録』(立正安国会刊)を除いては、翻刻上、あまり注意されてこなかったことであり、今後は翻刻するにあたり、日蓮による闕字・平出・擡頭の表記は、何らかの形で注記する必要があろう。
 また近世の資料だが、日蓮門下必読書に川路聖謨の『島根のすさみ』がある。同書は佐渡叢書や東洋文庫(川田貞夫氏校注)より刊行されているが、東洋文庫本の凡例を披いてみると「底本の平出・欠字はこれを行わなかった」とある。このように平出・闕字等の表記は、日蓮遺文のみならず、資料を翻刻する上で、やはり重視されてこなかった。こうした資料翻刻上の問題点については、すでに佐藤博信氏の指摘があるけれども、このたびの考察を通じて、原資料のもつ重みをあらためて痛感した。統合システムに収録される諸資料についても、つぶさに敬意表記の仕方を考えてゆきたい。(坂井)
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