12 11 10 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
 
過去のコラム:平成15年 平成16年 平成17年 平成18年 平成19年  平成20年 平成21年 平成22年 平成23年 平成24年 平成25年 平成26年 平成27年 平成28年 平成29年 平成30年 令和元年 令和2年
2020年
 「過去のコラム」は、PDFファイルです  
 
 
 このページの先頭に戻る
 
《『法華略記』と宗祖遺文との関連》

前回述べたとおり、『法華略記』は五大院安然の撰述となっているが、その内容には日蓮遺文を引き写したと思われる箇所が散見する。
今回は両者を対照して、その密接な関連性を指摘してみたい。

 ①「寒苦鳥」に関する記述 (『法華略記』上巻一紙)
  歎雪山苦鳥、雖厭夜々剋々於寒、怠朝日暖、又不造栖、被迫寒苦、得一生鳴、譬似仮命電光朝露易消〈中略〉芭蕉泡沫荒風老少不定〈中略〉朝開花易散暮風、宵出月易入暁雲。不開散風花、不傾隠雲月、皆是無常表義也。不知屠所半歩歩近不悲〈中略〉而親先立子、子先立親、或夫別妻、妻別夫、或昨日我訪人、今日人訪我、栄花皆是春花如。
当該文は『法華略記』上巻「第一 明倶舎宗」の冒頭にある一節で、雪山の寒苦鳥に関する故事である。意味を取りつつ読んでいけば、『新池御書』の一節を思い起こすのではないだろうか。その他にも「電光朝露」「芭蕉泡沫」など、日蓮遺文に類似した語句や用法が見える。
 ○『新池御書』
  雪山の寒苦鳥は寒苦にせめられて、夜明けなば栖つくらんと鳴くといへども、日出でぬれば朝日のあたたかなるに眠り忘れて、又栖をつくらずして一生虚しく鳴くことをう。(47)
春の朝に花をながめし時、ともなひ遊びし人は、花と共に無常の嵐に散りはてて、名のみ残りて其の人はなし〈中略〉秋の暮に月を詠めし時、戯れむつびし人も、月と共に有為の雲に入りて後、面影ばかり身にそひて物いふことなし。〈中略〉屠所の羊の今幾日か無常の道を歩みなん。
 ○『松野殿御返事』
  譬へば電光の如く、朝露の日に向かひて消ゆるに似たり。風の前の灯の消えやすく、芭蕉の葉の破れやすきに異ならず。人皆此の無常を遁れず〈中略〉或は老少不定の境なれば、老いたるは先立ち若きは留まる。是れは順次の道理なり。〈中略〉老いたるは留まり、若きは先立つ。されば恨みの至りて恨めしきは幼くして親に先立つ子、歎きの至りて歎かしきは老いて子を先立つる親なり。 
 ○『聖愚問答抄』
  況や人間閻浮の習ひは露よりもあやうく、芭蕉よりももろく、泡沫よりもあだなり。水中に宿る月のあるかなきかの如く、草葉にをく露のをくれさきだつ身なり。若し此の道理を得ば後世を一大事とせよ。 
ここに挙げた『新池御書』『松野殿御返事』『聖愚問答抄』は、いずれも疑義濃厚な遺文であるが、『法華略記』の文章内容と重なる部分が多い。おそらく両者は、その成立過程において、互いに影響し合っていたのではなかろうか。
『法華略記』の内容や文言は、他の安然の述作と何ら関連するものはなく、日蓮門下が『新池御書』等の疑義濃厚遺文とともに作成したものと考えられる。

②八宗破折の文について (『法華略記』上巻六紙)
  第一明倶舎宗、所宗依経四阿含経也。而増一阿含明人天因果。中阿含明真寂深義。雑阿含明諸禅定。長阿含破外道。 
当該文は倶舎宗を破折する前段として依経を挙げた部分であるが、これも『釈迦一代五時継図』(真偽未決)に粗同文が確認されるとともに、偽撰遺文の『法華本門宗要抄』では、より詳しい内容へと展開している。
 ○『釈迦一代五時継図
  四阿含等の小乗経を説くなり。増一阿含には人天の因果を明かし、長阿含には邪見を破し、中阿含には真寂の深義を明かし、雑阿含には禅定を明かす。 
 ○『法華本門宗要抄
  倶舎宗の如きは四阿含経に依る。〈中略〉四阿含とは一には増一阿含五十巻、此の中には人天の因果を明かす。〈中略〉二には中阿含六十巻、此の中には真寂の深義を明かす。〈中略〉三には雑阿含五十巻、此の中には諸の禅定を明かす。〈中略〉四には長阿含二十巻、此の中には外道を破す。 
また、成実宗について、『法華略記』は「第二明成実宗、依経如倶舎宗。以呵梨踆摩、而為祖師」(上巻七紙)と記し、『法華本門宗要抄』は「成実宗の如きは依経は前の倶舎宗の如し。〈中略〉呵梨跋摩三蔵此の宗を立つるなり」と記す。
これ以降、律宗・三論宗・法相宗・禅宗・真言宗・華厳宗・天台宗の順で、『法華略記』と『法華本門宗要抄』は同内容を続けている。ただし『法華本門宗要抄』は華厳宗・倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・禅宗・浄土宗・真言宗・三論宗・天台宗の順で十宗を破折する。いずれにせよ『法華略記』と『法華本門宗要抄』の関連の強さが窺える。
これにより、すでに指摘のある『法華本門宗要抄』と『要決法華論』との関係(『興風』19号 渡邉信朝「『要決法華知謗法論』に関する覚書」参照)に『法華略記』も加わることとなる。三者の成立過程を考察する上でこの項目は有用な材料となろう。

③摂受・折伏の二門 (下巻二十三紙)
   覩見一代聖教、各有二意。謂一摂受二折伏。不知摂受折伏二門、看一切経、当成諸仏敵、使断仏性種。迷惑之輩邪見諂曲族、或知摂受、未知折伏、或知折伏、未知摂受、或零摂受、僻破折伏、或落折伏、謬破摂受、或窮摂受折伏両門。
当該文は摂受・折伏の二門を説明したものだが、これもまた『開目抄』の一文を直ちに想起させる。また、この一文の後に「為結縁、令諸悪人唱法華経略首題者、滅無量罪」と記し、法華経の唱題が衆生との結縁となり罪障消滅に繋がるとしている。
さらに『法華略記』には、『摩訶止観』の「夫仏法両説。一摂二折。如安楽行不称長短是摂義。大経執持刀杖乃至斬首。是折義」の一文や、『薬王喩品』の「貴賤上下 持戒毀戒 威儀具足 及不具足 正見邪見 利根鈍根 等雨法雨」等の引用がみられる。前者は『開目抄』『一代五時継図』等に、後者は『法華初心成仏抄』『御講聞書』等に引用があり関連する。
このように、『法華略記』の摂受・折伏に関する記述は、日蓮遺文の内容を抜きにして語ることは出来ない。以下に摂受・折伏に関する日蓮遺文を挙げておく。
 ○『転重軽受法門』
  これは世に悪国・善国有り、法に摂受・折伏あるゆへかと、みへはんべる。正像猶かくのごとし。中国又しかなり。これは辺土なり。末法の始めなり。 
 ○『開目抄』
  夫れ摂受・折伏と申す法門は水火のごとし。火は水をいとう、水は火をにくむ。摂受の者は折伏をわらふ、折伏の者は摂受をかなしむ。無智悪人の国土に充満の時は摂受を前とす。安楽行品のごとし。邪智謗法の者の多き時は折伏を前とす。常不軽品のごとし。〈中略〉末法に摂受・折伏あるべし。所謂 悪国・破法の両国あるべきゆへなり。日本国の当世は、悪国か、破法の国かとしるべし。問うて云く、摂受の時折伏を行ずると、折伏の時摂受を行ずると利益あるべしや。〈中略〉摂折の二門を弁へずば、いかでか生死を離るべき。 
 ○『如説修行抄』
  凡そ仏法を修行せん者は摂折二門を知るべきなり。一切の経論此の二を出でざるなり。されば国中の諸学者等、仏法をあらあらまなぶと云へども、時刻相応の道理を知らず。〈中略〉然るに正像二千年は小乗・権大乗の流布の時なり。末法の始めの五百歳には純円一実の法華経のみ広宣流布の時なり。〈中略〉是れを摂折二門の修行の中には法華折伏と申すなり。

④理同事勝について (上巻三紙)
  或以真言理同事勝、或以法華事同理勝。〈中略〉以法華経而為劣法、以真言法而為勝法、理同事勝判之。依最澄意以真言経而為劣法、以法華経而為勝法、理勝事同判之。 
当該文は、真言が「理同事勝」を、法華が「事同理勝」を主張して勝劣を争うとの記述である。これも日蓮遺文を利用して作文されたものであろう。また下巻(三十七紙)にも、
  然ニ我山ノ真言宗ノ多ハ山家大師ノ未弁与奪之釈者、一向真言而思勝法、或堕真言止観一致之文、不知真言除障方便、思事理同味、堕理同事勝。如此等者不知其数。 
という関連の一文がある。文意は、山門にて真言宗の側に立つ者の多くは、伝教大師の与奪両釈の真意が分からず、ひたすら真言が勝れると思うか、止観と真言は一致だと思うかである。しかし、真言は実は「除障方便」の教えであり、それを知らずに事理同味と思ったり、理同事勝に堕ちる者が多いのは嘆かわしい限りである、という意味合いである。
ところでここに使用される「理同事勝」「事同理勝(又は理勝事同)」等の成句について、『要決法華論』(七巻・第二十八)では次のように解説している。
  顕密相対シテ同異不同ノ口決束テ為五箇条ト。不出口外ヲ、秘中深秘ノ口伝也。一ニハ一向密勝レ顕劣ル事。二ニハ一向顕勝レ密劣ル事。三ニハ顕密一致事。四ニハ密、理同事勝ノ事。五ニハ顕、理同事勝事ナリ。〈中略〉四ニ謂フ顕密理同・密教事勝者、此大綱ハ説法華、細目ハ明衆経、故ニ旦存約教義ヲ。阿字本空・甚深無相ノ法質与天真独朗・根本法華ノ智体、専ラ提与義、許ス一致義ヲ、此理体ノ方也。事勝之方ハ但説法華仏之知見ヲ、広ク説印真言陀羅尼等之事相 。故ニ取此ノ方以テ号ス事勝 。此依ル一行阿闍梨之義也。〈中略〉将存師資相承之秘伝也。已上円仁口伝仰也。 
これによれば密教(真言)と顕教(天台)の勝劣について、円仁の五箇条口決があり、その四に真言勝・法華劣の「理同事勝」が置かれている。またそれを細釈では「一行阿闍梨之義」に依るとしている。さらに次下では、顕密勝劣について六重の勝劣を示し、その第三に「明ス顕密理同・密事勝ノ事ヲ」として、
  是レ依ル円仁・円珍ノ解釈ニ 。其証、円仁蘇悉地経疏一云、教有二種、一顕示教、謂三乗世俗勝義、未円融、故二秘密教謂一乗教世俗勝義、一体融故秘密教中亦有二種。一理秘密教謂華厳般若維摩法華涅槃等ナリ。但説世俗勝義不二、未説真言密印事。故二事理倶密教謂大日経・金剛頂経・蘇悉地経等、亦説世俗勝義不二、亦説真言密印事理等云云。又云、譬如有人手執刀杖、不著甲冑、入群賊中、儻勝一人、或為賊所害。顕教転報。亦復如是。未被如来三密甲冑。○若秘教不爾。三密甲冑著法界体。定恵之手執持阿字利剣。如来要誓。事理兼備。無災不除。無楽不与。譬如勇士密著甲冑、執持利剣、入群賊中、自他倶安云云。円珍云、本初是寿量義以師子奮迅之力、於十方世界、説成道事。過去常現在常未来常皆迹中事非仏本意也。自証境界無有長短久近之相。八葉諸尊随機取土。而中台不動本際。汝仏新成我仏久成等者皆是戯論。而非仏法。当知華厳所説仏智皆戯論也。久近在機都非在仏云云。
等と述べている。ここでは密教勝・顕教劣の理同事勝説を円仁と円珍の解釈であるといい、円仁からは『蘇悉地経疏』、円珍からは「後唐院ノ記」(書目不明)をその文証として挙げている。しかしながら、『法華略記』の文脈では法華最勝を旨とするので、真言勝・法華劣を主張する理同事勝説は誤謬となる。つまり一行阿闍梨の義および円仁・円珍の説に対して、安然は非難の矛先を向けたかたちになっている。
安然は円仁・円珍の後を継ぐ密教の大成者であり、同門の先達を非難の対象とするなどあり得ないことであろう。この一点でも『法華略記』とは如何なる書物か大いに考えさせられる。
「理同事勝」を円仁・円珍の解釈とする説も、それを一行阿闍梨の義に求めることも、日蓮遺文中に繰り返し説かれている。「理秘密」「事理倶密」を説く『蘇悉地経疏』の一文は『撰時抄』に引用され、円仁の理同事勝説を批判する文証となっている。また「後唐院ノ記」ついても、日蓮は要文として書き留め、『富木殿御書』に「円珍智証大師云く、華厳・法華を大日経に望むれば戯論と為作す」とその要旨を語られている。
以下、理同事勝に関わる日蓮遺文を掲げておく。
 ○『善無畏三蔵抄』
  而るに善無畏三蔵は、華厳・法華・大日経等の勝劣を判ずる時、理同事勝の謬釈を作りしより已来、或はおごりをなして法華経は華厳経にも劣りなん、何に況や真言経に及ぶべしや。 
 ○『開目抄』
  真言大日経等には二乗作仏・久遠実成・一念三千の法門これなし。善無畏三蔵、震旦に来たりて後、天台の止観を見て智発し、大日経の心実相我一切本初の文の神に天台の一念三千を盗み入れて真言宗の肝心として、其の上に印と真言とをかざり、法華経と大日経との勝劣を判ずる時、理同事勝の釈をつくれり。
 ○『大田殿許御書』
  所謂善無畏三蔵等法花経大日経理同事勝等。慈覚・智証等存此義歟。弘法大師法花経下花厳経等。此等二義共非経文。同存自義歟。将又慈覚・智証等作表奏之。随申有勅宣。如聞真言・止観両教之宗同号醍醐倶称深秘。 
 ○『曽谷入道殿御書』
  弘法大師の邪義は中々顕然なれば、人もたぼらかされぬ者もあり。慈覚大師の法華経・大日経の理同事勝の釈は智人既に許しぬ。愚者争でか信ぜざるべき。 
 ○『撰時抄』
  第三の慈覚大師御入唐、漢土にわたりて十年か間、顕密二道の勝劣を八箇の大徳にならひつたう。又天台宗の人々広修・惟等にならわせ給しかとも、心の内にをほしけるは、真言宗は天台宗には勝たりけり。我師伝教大師はいまた此事をはくはしく習せ給さりけり。漢土に久もわたらせ給さりける故に、此の法門はあらうちにみをはしけるやとをほして、日本国に帰朝し、叡山東塔止観院の西に総持院と申大講堂を立、御本尊は金剛界の大日如来、此御前にして大日経の善無畏の疏を本として、金剛頂経の疏七巻・蘇悉地経の疏七巻、已上十四巻をつくる。此疏肝心の釈云 教有二種。一顕示教 謂三乗教。世俗勝義未円融故。二秘密教 謂一乗教。世俗勝義一体融故。秘密教中亦有二種。一理秘密教 諸花厳・般若・維摩・法花・涅槃等。但説世俗勝義不二 未説真言密印事故。二事理倶密教 謂大日経・金剛頂経・蘇悉地経等。亦説世俗勝義不二 亦説真言密印事故等云云。釈の心は、法花経と真言の三部との勝劣を定させ給に、真言の三部経と法花経とは所詮の理は同く一念三千の法門なり。しかれとも密印と真言等の事法は、法花経かけてをはせす。法花経は理秘密、真言の三部経は事理倶密なれは、天地雲泥なりとかゝれたり。
 ○『報恩抄』
慈覚大師は去承和五年に御入唐、漢土にして十年か間、天台・真言の二宗をならふ。法華・大日経の勝劣を習しに、法全・元政等の八人の真言師には法華経と大日経は理同事勝等云云。〈中略〉金剛頂経の疏七巻・蘇悉地経の疏七巻、已上十四巻、此疏の心は大日経・金剛頂経・蘇悉地経の義と法華経の義は、其所詮の理は一同なれとも、事相の印と真言とに真言の三部経すくれたりと云云。〈中略〉智証大師は本朝にしては、義真和尚・円澄大師・別当・慈覚等の弟子なり。顕密の二道は大体此国にして学し給けり。天台・真言の二宗の勝劣の御不審に漢土へは渡給けるか。去仁寿二年に御入唐、漢土しては真言宗は法全・元政等にならはせ給、大体大日経と法華経とは理同事勝、慈覚の義のことし。 
この他にも日蓮遺文に「理同事勝」の成句は多く見られる。その用い方は佐前・佐後等で幾つかの段階や変遷があるようである。
文永七年から同九年頃までの日蓮遺文では、善無畏はじめ金剛智・不空等が一念三千を盗んで「理同事勝」を主張したと示されるが、次の段階では善無畏が一行阿闍梨を語らって『大日経疏』を造らせ、そこに天台教学を盛り込んだとする指摘が付け加えられる。さらに身延期に顕著になるのは理同事勝批判の対象として、日本天台の「慈覚・智証」が引き合いに出されることである。つまりひと口に理同事勝批判といっても、その対象の中心は善無畏→一行阿闍梨→円仁・円珍と変遷していることが窺える。
ところで「理同事勝」の成句は、円仁が直接言ったものではなく日蓮が密教批判を展開するために造語されたものと考えられている。円仁・円珍・安然等のたしかな著作を調べても「理同事勝」の成句は一切見当たらない。
しかし『法華略記』や『要決法華論』では、円仁・円珍・安然の言葉として「理同事勝」の成句が見えている。これも両書が日蓮門下の手によって作成された一つの証左となろう。
まだ他にも、法華経の文字数や閻浮提の国々の数え方、南都諸師と最澄との宗論、法滅尽経の引文等々、『法華略記』と日蓮遺文には類似する文章が多いが、詳しくは後稿を期したい。(渡邉)
このページの先頭に戻る