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2018年
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 最後に、ここでは先の『興風叢書〔19〕』に収録した藻原日海の『三種教相見聞』の中から、最初と最後にある二つの記事をご紹介してみたい。

   
  身延文庫蔵 上総藻原寺第四世日海撰『三種教相見聞』
  【図版は無断転載禁止です】
 一つめは、同書の第一冊の冒頭において、先ず三種教相判が天台智顗の『法華玄義』の内、略釈・広釈の二つの中で第一巻の略釈に説かれ、また略釈を構成する七番共解の第一・標章で名体宗用教の五重玄義を略釈する中、第五重の教相において示されていることを指摘した上で、
  「是の故に先師大聖人より始めて此の教相を別して抜き書きし、一巻の書となして三種教相と名づけ、今に至るまで是れを習い伝ふる処なり」
という記事がある。これによると、大聖人以来、この三種教相判は非常に大事な法門という認識の下に、特別に一巻の書物にあつらえられて、代々習い伝えてきたということで、おそらくこれは事実を反映した説明かと思われる。
 すると、やはりここで気になるのは、宗祖遺文として今に遺されている前回紹介した二つの『三種教相』や『三八教』との関係である。そこでこの日海の『三種教相見聞』の記述と御書の記述をざっと見比べてみると、『三種教相見聞』にある「許爾前得道」や「寂滅道場為元始」「不論種熟脱」「方便・譬喩乃至授記品意」「迹門」等の注記や、最初の「許爾前得道」の下に引かれる要文は御書の『三種教相』の方にもあるが、その後の「相待妙」や「絶待妙」の説明の仕方などは、両者の間にかなりの相違があるように思われる。
 それゆえ、この日海撰述の『三種教相見聞』は御書の『三種教相』等そのものに対する注釈とは言い難く、むしろ宗祖以来、「根性融不融相」「化道始終不始終相」「師弟遠近不遠近相」という三種教相判にごく簡単な注釈を加えた『三種教相』一巻なるテキストがあり、それについて同じように更に注釈を加えたのが御書の『三種教相』や『三八教』であり、またそれと同様にこの日海の『三種教相見聞』ではないか、と考えるのが至当ではないか、と思われるのである。

 そして、もう一つは、これは最後の第十冊目の末尾の近くにある記事であるが、そこには
  「尋ねて云く、娑婆世界の衆生は仏は釈尊に値い、菩薩は地涌千界に値ひて下種得脱すべしという事は何なる経釈に依るや。答えて云く、娑婆世界の衆生は仏は釈尊に値いて下種・得脱すべしと云う事は、上に教主有縁の沙汰せしがごとし。次に菩薩は地涌千界に値いて下種・得脱すべしと云う事は、涌出品にして過八恒沙の他方菩薩が是の経の此土弘経を申されしに、「不須汝等。護持此経」とこれを禁め、『所以者何。我娑婆世界。自有六万。恒河沙等。菩薩摩訶薩』等と下方の菩薩を召し給う故に、此の経文に付いて天台は前三後三の六の釈を設け玉ふ。妙楽が六の釈を受けて釈し給ふ中に、前三の第一の釈を受けて、『諸仏菩薩には実に彼此無けれども、但だ機に在無あり。無始法爾の故に。○初め此の仏菩薩に従って結縁し、還って此の仏菩薩において成熟す』。此等の経文釈は分明に下種の初結縁・得脱の成就の仏は釈尊に限り、菩薩は千界塵数の菩薩に限りて下種・得脱すべしと云う事勿論なり」
とある。
 
  身延文庫蔵『三種教相見聞』第十。ちょうど中頃に「尋云、娑婆世界衆生仏
値釈尊値菩薩地涌千界」と見える。
  【図版は無断転載禁止です】
 ある意味でこれは本書全体の結論のようにも読み取れる記事なのであるが、「総じて娑婆世界衆生の種熟脱」について、『文句記』第九の涌出品釈である「初従此仏菩薩結縁。還於此仏菩薩成熟」の文に拠って、娑婆世界の衆生は無始法爾として仏は釈尊に限り、菩薩は地涌千界に限って、この仏菩薩に値遇して下種を受け、また再びこの仏菩薩に値遇して得脱すると説明されている。
 つまり、末法における下種が本化地涌の菩薩に限られることの文証としてこの「初従此仏菩薩…」の文を挙げている訳であるが、日海はこれ已前の第六冊目や第七冊目でも同様の記述をしており、この『文句記』の一文を非常に重要視している様が見受けられるのである。
 しかるに、そのような眼で改めて聖人の遺文を見わたしてみると、その書中にこの「初従此仏菩薩…」の文が引かれているのは、『最蓮房御返事』『曾谷殿御返事』『三種教相』『上行菩薩結要付属口伝』の写本で伝来する四書と、真蹟が現存する『一代五時継図(西山本)』と『注法華経』の合計六書に限られている。その中で注意すべきは『一代五時継図(西山本)』の存在であり、本書には三種教相判への直接的な言及は無いものの、化道の始終である「種熟脱」を用いて娑婆世界における釈尊の三徳が説明されている。そして、周知のとおり、日興上人には御書の写本が数多く残されているが、その中でもこの『一代五時継図(西山本)』が少なくとも五回にわたって書写されていることは、注意が必要ではないかと思われる。
 つまり、この涌出品釈の「初めこの仏菩薩に結縁し…」という一文は、衆生が釈尊に結縁すると同時に、その本化である地涌の菩薩に結縁し、最終的には同じ釈尊と地涌の菩薩に従って成仏を遂げるということを示しているので、これは滅後末法における地涌の菩薩、つまりその再誕の宗祖大聖人の衆生教化を明示し、保証する一文である。
 そして、その一文を含む「一代五時継図」の西山本を日興上人が五回も書写されているという事実は、宗祖を上行菩薩の再誕として仰ぎ、その御影像を本尊格としてご宝前に安置する日興門流の者としては、多少の注意を払うべき事柄ではないか、と思う。
 なお、この「三種教相見聞」の著者である日海師は千葉県茂原市の本山・藻原寺の第四世であるが、その生存時期は建武三年(1336)から康応元年(1389)である。しかるに、日蓮門下上代の教学的な流れに対する有力な見方の一つとして、宗祖の孫弟子たちが活躍した南北朝時代(~1392)が「安国論中心時代」であるのに対して、室町時代になると教学的な関心が「安国論」の権実論から「開目抄」「本尊抄」の本迹論に移り、天台本覚思想が流行する、という学説が提出されている。それゆえ、この南北朝末期から室町初期は非常に大きなターニングポイントであるが、その割りには残された史料も少なく、不明部分が多いのが実状である。
 そんな中、当該時期に活躍した日陣門流の派祖の円光坊日陣師(1339~1419)と日海師とは、それぞれ勝劣派と一致派の代表的な教学者ということもあり、その著作は非常に重要な意味合いを持っている。この度紹介した「三種教相見聞」十冊(『興風叢書〔19〕』所収)は、その日海師が「四信五品抄」を註解した「初心行者位見聞」十五巻と共にその代表作であり、きわめて興味深い内容を持つ文献と思われるので、是非ご一読いただければ幸甚である。

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 なお、最後にどうして宗祖がある意味では突然三種教相判に注目され始められたのか、という問題について私見を述べておきたい。
 先にも述べたように、写本で伝わる長短二篇の宗祖遺文『三種教相』は共に文永六年(1269)に系けられており、又真蹟が現存する『三八教』もやはり文永六年とされているが、これらはどうやら共に爾前の円と法華の円との同異勝劣を論じていることが文永六年の『十章抄』と共通する、というのが系年の根拠となっているようである。
 しかるに、その『十章抄』の内容において大きな特徴となっているのが「迹門→本門」への切り替えである。この転換について宗祖ご自身は何の説明もされていないが、これに関して私たちが注意すべきは、やはりこの前年の文永五年の閏正月にもたらされた蒙古の国書の存在であり、その一年後の三月に蒙古の使者が対馬に渡って返書を要求した事件である。これにより「立正安国論」における自らの予言の的中を強く確信された宗祖が、それを受けて真実の意味で自らの本門立ちの法華教学を展開され始めて行かれたのであり、その本門への指向の現れの一つがこの三種教相判への注目ではなかったか、という推測である。《終り》 (大黒)
 
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